2025-08-03
だから、人々は神を恐れなければならない。神は心に知恵ある者を顧みられないだろうか。
ヨブ記37章24節
ラム族のブズ人、バラクエルの子エリフのことばは、37章も続きますが、エリフの発言は、この37章で終わります。そしてこれまでの流れであれば、次にヨブの発言がくるのですが、ヨブ記38章は、主(神さま)の発言になっていきます。しかも、その主(神さま)の発言の相手、対象は、エリフではなく、ヨブでした。
主は嵐の中からヨブに答えられた。 ヨブ記38章1節
それでは、ヨブ記32章から始まったエリフの発言は、どのような意味があったのかと考えさせられます。イエスさま誕生の道備えをしたバプテスマのヨハネ的な役割だったのではないでしょうか。
この人こそ、『見よ、わたしはわたしの使いをあなたの前に遣わす。彼は、あなたの前にあなたの道を備える』と書かれているその人です。
マタイの福音書11章10節
イエスさまの誕生に道備えが必要であったように、ヨブにとっても主(神さま)のことばを聞くための道備えが必要だったのでしょう。エリフの役割は、主(神さま)のことばを聞くための「道備え」でした。そのように考えると私たちに託されている「福音を届ける」働きのためにも、「語る人」「届ける人」だけではなく、「道備え」をする人も必要なのでしょう。
私たち一人ひとりが、「福音を届ける」ことを意識しつつ、祈りつつ取り組んでいますが、「福音を届ける」人だけでは、うまくいかないのです。「福音を届ける」人と同時に、バプテスマのヨハネのような「道備え」を担う存在、またヨブ記のエリフのような「道備え」をする存在が必要なのです。
「99%に福音を届ける」という私たちの教会の宣教ビジョンに当てはめるならば、「福音を届ける」人だけではなく、やはり「道備え」をする人も必要です。その両者がそろって、福音が一人ひとりのところに届いていくのでしょう。今週も、「道備え」をする人は、道備えを担い、「福音を届ける人」は福音を届けていきましょう。 (吉持日輪生)
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