モーセのように必死に祈る
2016-09-11


しかしモーセは、彼の神、主に嘆願して言った。「主よ。あなたが偉大な力と力強い御手をもって、エジプトの地から連れ出されたご自分の民に向かって、どうして、あなたは御怒りを燃やされるのですか。また、どうしてエジプト人が『神は彼らを山地で殺し、地の面から絶ち滅ぼすために、悪意をもって彼らを連れ出したのだ』と言うようにされるのですか。どうか、あなたの燃える怒りをおさめ、あなたの民へのわざわいを思い直してください。
出エジプト記32章11〜12節

 モーセは、ここで神さまに「どうして・・・どうして・・・どうか・・・」と必死に祈っています。なぜでしょうか。「どうして、あなたは御怒りを燃やされるのですか」(11節)と祈っていますが、モーセは神さまの御怒りの理由を知らなかったのでしょうか。7節以降で神さまは「あなたの民は、堕落してしまったから」(7節)、「彼らは早くも、わたしが彼らに命じた道からはずれ・・・」(8節)と語られていますので、モーセは神さまの御怒りの理由を知っていました。ではモーセは、イスラエル人のリーダーという地位を守るために「どうして・・・」と必死に祈っているのでしょうか。それについても神さまはモーセに「(イスラエルの民が絶ち滅ぼされても)、わたしはあなたを大いなる国民としよう」(10節)と語られています。ではモーセの何が、この必死な祈りを献げさせているのでしょうか。それは、同胞イスラエル人への愛です。
 そしてここに出エジプト以前のモーセと、出エジプト後のモーセの成長の姿を見ます。モーセは、かつて同胞イスラエル人への愛を「エジプト人を打ち殺すこと」(出エジプト記2章11〜14節)で実践していました。しかし、今回モーセは、同胞イスラエル人を守るために必死に神さまに祈っているのです。
 あなたは、家族を守るために、地域を守るために、国を守るために、何をしているでしょうか。私たちクリスチャンにとって神さまに必死に祈ること以上に実のある働きはありません。あの同時多発テロの2001年9月11日から15年経つ今週、あなたの大切にしている存在のために必死に祈ることの大切さを心に留めて歩みましょう。                   (吉持日輪生)

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