2026-08-09
いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は自分の努力したことが無駄ではなく、労苦したことも無駄でなかったことを、キリストの日に誇ることができます。
ピリピ人への手紙 2章16節
私たちの人生には、受験や就職、結婚といった人生を左右する大切な出来事、「節目」があります。このような節目を越えたあとに本番が始まります。クリスチャンになるという経験は、人生の節目の中でも格別ですが、その後の本番はどのように生きるのでしょうか。ピリピ人への手紙2章12〜16節から3つのポイントで学びます。
1.救いを達成するよう努める(12節)
クリスチャンにとって「救い」とは、過去ではなく現在進行形の出来事です。私たちは毎日救いを体験しています。救いを達成するとは、罪の刑罰からの救い(過去)を感謝して受け取り、イエスさまの再臨の時に罪や悪から完全に救われる(未来)ことに希望を持ちながら、現実の生活で、私たちの外と内から攻めてくる罪の力から、神さまが救ってくださる(現在)ことを願い、救いを体験するということです。パウロは「恐れおののいて」救いを達成するように言いましたが、私たちは罪に対する自らの無力さを自覚しながら、弱さの中に神さまに働いていただくことを信じます。救いの達成に努めるとは、神さまの助けを常に頂きながら、神さまの臨在と守りを味わい続けることです。
2.志を立てさせ、事を行わせてくださる(13〜14節)
「働いて」、「行わせる」はエネルゲインという動詞が使われています。これはエネルギーの原語です。聖霊なる神さまは目には見えないけれど、私たちの心に力を持って働かれます。聖霊は私たちの志や心の願いに働きかけ、神のみこころを実現してくださいます。14節には「すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。」と勧められています。神さまがみこころによって、私たちに与えてくださった志や願いに対して、つぶやかずに従順さをもって実行することが大切です。
3.世の光として輝くために(15〜16節)
16節の世の光とは、暗い世界の中で星のように輝くという意味を持ちます。私たちは世の光になりたいと願いつつも、自らの現実を見る時に失望することがあります。しかし、クリスチャンは、既に救いを頂いていて、いのちのことば(みことば)を持っています。私たちはイエスさまの光を映しながら、たとえ小さい光であっても世の光として、与えられた場所で輝き続けるのです。神さまは私たち一人ひとりが世の光として輝くことを願っておられます。その目的はイエスさまの福音を証しし、神さまのみこころを地上で行うことです。
この新しい週もみことばに励まされ、救いの達成に努めつつ、与えられた志や願いを実行し、世の光として歩んでいきましょう。
(笠川路人)
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