2025-02-23
木には望みがある。たとえ切られても、また芽を出し その若枝は絶えることがない。たとえ、その根が地の中で老い、その根株が土の中で死んでも、水の潤いがあると芽を吹き出し、苗木のように枝を出す。しかし、人は死ぬと倒れたきりだ。人間は息絶えると、どこにいるのか。水は海から消え去り、川は干上がり、涸れる。そのように、人は伏して起き上がらず、天がなくなるまで目覚めず、その眠りから覚めることはない。
ヨブ記14章7〜12節
ヨブ記14章も、ヨブの発言が続きます。今から3千年以上前に書かれたヨブ記を読んでいると、ヨブや、ヨブの友人たちの知識の豊かさに驚かされます。上記引用個所でも、「木」という植物の知識が豊富です。「たとえ切られても、また芽を出し」とか、「根が地の中で老い、その根株が土の中で死んでも、水の潤いがあると芽を吹き出し」など、植物の知識が正確に語られています。
同時に「人間の死」についても、正確に語られています。「人は死ぬと倒れたきり」「人は伏して起き上がらず、天がなくなるまで目覚めず、その眠りから覚めることはない」と、人間の死と、聖書が語る「よみがえり」について語っています。
また神さまの前の人間の姿もしっかりと理解しています。
今、あなたは私の一歩一歩を数えておられます。私の罪に目を留めないでください。私の背きを袋の中に封じ込め、私の咎をおおってください。
ヨブ記14章16〜17節
神さまは、私たちの「一歩一歩」を数えることができるほどに知っておられること。また、どんなに小さな罪でも「私の罪に目を留め」られるお方であること。だからこそ、「私の背きを袋の中に封じ込め、私の咎をおおってください」と願う必要があることを、ヨブはしっかりと語っています。
私たちの一般的な知識は、ヨブ記の時代の人たちより、またヨブよりも豊かかもしれませんが、神さまに対する知識は取るに足りないものです。だからこそ私たちは、「旧新約聖書」を通して正確な神さまについての知識をいただく必要があります。今週も、聖書を通して「神さまについての知識」を豊かにし、真実な神さまと共に歩みましょう。 (吉持日輪生)
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