神をほめたたえる者として歩もう
2024-11-24


ある日、神の子らがやって来て、主の前に立った。サタンもやって来て、彼らの中にいた。主はサタンに言われた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えた。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」
                      ヨブ記1章6〜7節

 今週からヨブ記ですが、先週まで取り扱ってきたエステル記との違いをとても感じる内容です。「神」も、「主」も、そして「悪魔」も、「サタン」も出てこないエステル記に対して、ヨブ記は冒頭引用個所の通り、いきなり「主」と「サタン」の会話から始まっています。そしてその内容は、「えっ?」と驚かされるものです。

主はサタンに言われた。「では、彼の財産をすべておまえの手に任せる。ただし、彼自身には手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは主の前から出て行った。
                      ヨブ記1章12節

 サタンは、主(神さま)の許可を受け、ヨブの財産をすべて失わせます。多くの若い者たちを失い(15、16、17節)、牛とろばを失い(14節)、羊を失い(16節)、らくだを失い(17節)、そして息子、娘たちを失います(19節)。
 神さまを信じ、神さまの前に正しく歩んでいても、それでも神さまがサタンにヨブの財産を任せてしまったために起こった悲劇です。エステル記からの流れで読むと、神さまを認めていても、認めていなくても、悲劇は起こり、多くの命が失われていくことに目が向けられます。そのような中、ヨブは神さまに礼拝を献げ、このように語ります。

このとき、ヨブは立ち上がって上着を引き裂き、頭を剃り、地にひれ伏して礼拝し、そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」       
                         ヨブ記1章20〜21節

 このヨブの姿から、私たちは人間の「創造の原点」に立ち返らされます。それは神に似せて創造された人として、神さまをほめたたえることです。なぜなら神さまが、私たちに与えてくださっているものは、計り知れないからです。
 今週も、失ったものではなく、神さまが与えてくださっているものに目を留め、感謝し、賛美して歩みましょう。 
                        (吉持日輪生)

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