「恐れ」の怖さ
2020-07-26


しかし、私たちがこのことをしたのは次のことを恐れたからです。後になって、あなたがたの子らが、私たちの子らに次のように言うかもしれません。「あなたがたとイスラエルの神、主との間に何の関係があるのか。…」               ヨシュア記22章24節 

 ヨシュア記22章は、ヨシュアからルベン人、ガド人、マナセの半部族への穏やかなねぎらいの言葉から始まります。しかし、彼らが「ヨルダン川のそばに一つの祭壇を築いた」、しかも「遠くから見えるほどの大きな祭壇」を築いたことで、状況は一変し、臨戦態勢となります。

イスラエルの子らがそれ(祭壇を築いたこと)を聞いたとき、イスラエルの全会衆は彼らと戦おうとシロに集まった。          ヨシュア記22章12節

 この状況の変化、混乱の原因は何だったのでしょうか。それを読み取ることができるのが、冒頭に引用したヨシュア記22章24節です。それは、「私たちがこのことをしたのは次のことを恐れたから」とあるように原因は「恐れ」でした。
 「恐れ」は、人々に様々な影響を与え、時に間違った行動へと私たちを誘導します。「ルベン人、ガド人、マナセの半部族」は、「恐れ」から祭壇を築くという間違った行動に促されました。また「イスラエルの子ら」は、「ルベン人、ガド人、マナセの半部族が祭壇を築いて主に反逆した」と「恐れ」、戦うための行動をとりました。ここに「恐れの怖さ」を見ます。この問題を解決するためにイエスさまの愛弟子ヨハネはこのように語っています。

愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。恐れには罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです。
                           ヨハネの手紙第一4章18節

 父なる神さまと私たちの関係においても「神さまの愛」ゆえに「恐れ」は締め出されます。また人との関係においても「愛」が存在する時、やはり「恐れ」はなくなります。
 今週も、「神さまの愛」にしっかり包まれながら、「恐れ」の入る余地を与えず日々歩ませていただきましょう。          (吉持日輪生)

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