境界線をひかれる神さま
2020-06-14


南の境界線は…。東の境界線は…。その境界線は…。さらに境界線は…。
                     ヨシュア記15章2〜7節(抜粋)
 
 聖書の神さまは、人知でははかり知ることのできないほどに雄大な存在です。けれども、同時に「境界線」をしっかりとひかれる神さまです。島国日本は、隣人との関係をより良く保つためにあえて「境界線」をひかない傾向があると言われますが、そのような私たちには、「境界線」をしっかりひかれる聖書の神さまに戸惑いを覚えることがあります。
 日本の文化では、尊敬されるべき存在をすぐに神さまにしてしまいます。しかし聖書は、神さまは創造者であって、神さまに似せて造られた私たち「人」と、はっきり区別します。ですから私たち被造物が、神さまになることは決してありえません。またこのような神さまと人との間の「境界線」をはっきり理解できないと、その「境界線」を超えて「人」として現れてくださった「ひとり子イエスさま」の愛の尊さも正しく理解できません。
 ヨハネの福音書21章でイエスさまが、ペテロにこれから先起こるであろう受難について預言された時、ペテロは、イエスさまとこのようなやり取りをしています。

ペテロは彼を見て、「主よ、この人はどうなのですか」とイエスに言った。イエスはペテロに言われた。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
                    ヨハネの福音書21章21〜22節

 ここでの「彼」は、ヨハネの福音書を執筆したイエスさまの弟子ヨハネと言われています。イエスさまは、「ペテロ」と「ヨハネ」の間に、はっきりとした境界線を持っておられたからこそ、「あなたに何の関わりがありますか」と言われたのです。
 私たちも、隣人を見て「なんで?」と思えることが多々ありますが、しっかりと「境界線」をひいて、イエスさまがペテロに「あなたは、わたしに従いなさい」と言われたように、神さまが用意してくださっている私の人生を、しっかりと歩みましょう。                   (吉持日輪生)

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