感情のコントロールについて
2019-03-17


怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。         エペソ人への手紙 4章26節                                    

 人間関係の問題について探っていく時に、その多くが感情の問題であることを私たちは発見します。何か人間関係でトラブルを経験する時(時には一方的にトラブルに巻き込まれることもありますが)、そこには怒りや憎しみ、妬みや失望といった感情の問題が発生していることが殆どです。日々、報道されるニュースを見ると、多くの事件が感情の問題を原因としていることを発見します。私たちの日常生活においても、人間関係のトラブルを見たり経験するときに「もっと感情をコントロールできていれば良かったのに」と思うことがあります。身近な人間関係ほど拗(こじ)れてしまうと難しいし、赦せないと思う。ましてや、相手がクリスチャンだった場合は余計に赦せない、腹立たしいと思ってしまう。日本人は比較的、我慢強く、人間関係の問題にならないように感情を押し込めるケースが多いと言われていますが、「何が問題なのか?」、「どうして腹立たしいのか?」と、しっかり理解をして受け止めたり、自己内省をしながら分析することはとても大切です。
 これから何回かに渡って、感情の中でも人間関係に最も影響しやすい、「怒り」について取り上げていきます。怒りは分かりやすい、とても身近な感情表現ですが、対処を誤ると人間関係の危機に陥ることがあります。パウロはエペソの教会のクリスチャン達に「怒っても、罪を犯してはなりません。」と教えました。聖書は「怒り」についてどのように取り扱っているのか。怒りは罪なのか。そして人はどうして怒るのか。どうしたら怒りをコントロールすることができるのか。これらの内容を詳しく見ていくことで、感情の問題に対して、聖書的アプローチを通した解決方法を見ていきたいと思います。(笠川路人)

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