創世記2-3章から学ぶ人間関係
2019-01-27


神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか」                 創世記 3章9節                   
 神さまの手によって人間が造られた創造のストーリーと、人間の中に罪が入った堕落のストーリーから、私たちは何を学ぶことができるでしょうか。最初に覚えるべきことは、創造の初め、アダムとエバが経験していた最初の人間関係は、理想的であり、とても良い関係であったということです。神さまとも理想的な関係を持ち、自分自身に対する健全なイメージを持っていました。私たちは神のかたちに造られた人間だからこそ、理想的な関係に対する憧れ、その実現を心から望む思いを持っています。しかしながら、罪の影響は非常に大きく、前々回(1月13日の週報)にて学んだ通り、4つの関係(神さま、自分、他者、地上)が破壊されてしまった存在であることを知ることは重要です。人間関係において、「あの人は悪い人、難しい人」と他人を評価する前に、罪がどのように他人との関係に影響を与えているのかを見る必要があります。例えば、自分に対するセルフイメージが低かったり、自信が持てない時に、逆に他の人に対して強硬な態度を取る、批判的な態度を取ってしまうことがあります。罪の根源は神さまとの関係の断絶ですから、その結果として自分が神となり、自己中心的な行動をとってしまうことは、人間関係に難しさをもたらします。
 元々は理想的であったものが、罪によって問題がもたらされているなら、その解決方法は罪からの解放であり、罪の赦しです。そして、創世記3章の後半は、神さまが人間に与えられた恵みと希望が記されています。まず、神さまは、神さまと人間の関係の回復を願うがゆえに、「あなたはどこにいるのか」とアダムに声をかけられました。神のひとり子イエス・キリストを通して、与えて下さった罪の赦しと永遠のいのちは、神さまが私たちを罪の束縛から救い、関係の回復を与えるための解決方法です。それでは次回から、より良い人間関係を実現するための聖書的実践について見ていきましょう。 (笠川路人)

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