20150830 福音の文脈化
2015-08-30


「福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」ローマ人への手紙1章16節b

「文脈化」という言葉は英語ではContextualization(コンテクスチュアリゼーション)と言い、キリスト教がある特定の文化に入っていくときに、その社会的、歴史的な背景を反映させて再解釈するという意味を持っています。例えば「雪」が全く存在しないアフリカのある地域において、「あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる」(イザヤ1章18節)という御言葉を説明するためには、「雪」に代わる別の何かが必要となります。文脈化はキリスト教が特定の文化に根付くために欠かせない作業であり、そのレベルに応じてキリスト教が特定の民族や文化に土着する程度が変わってきます。リージェント2年目の学びで、世界各地のキリスト論の演習を履修した時に、この文脈化の方法論について学ぶこととなりました。文脈化を進めるためには、既存の文化や価値観に対してどのような姿勢を持つのかが大切になります。もし徹底的な対決姿勢を取るならば、宣教する側の価値観を守ることができたとしても、現地の人々から大きな反発を受け、土着化が難しくなる可能性があります。逆に既存の文化や価値観に対して過度に妥協するならば、他宗教との「習合」(教義が混じり合うこと)が起こり、福音の純粋性が損なわれることになります。「習合」を避けながら、どのように福音を地域に浸透させていくことができるか?私たちはキリスト教の宣教の歴史を振り返ることから文脈化の事例を学ぶことができます。初代教会においてはアンテオケの教会がギリシヤ人に福音を伝える文脈化を初めて挑戦した教会であり、アンテオケの教会からギリシア・ローマ社会への宣教が始まりました。その後、エルサレムの教会では律法に忠実なパリサイ派出身の弟子たちは割礼の必要性を主張しましたが(使徒15章)、パウロを中心としたアンテオケから派遣されたクリスチャン達は異邦人の立場を擁護し、福音宣教を阻害する条件が取り除かれました。もし救われる条件に割礼が入っていたとしたら、キリスト教が全世界に広がることは難しかったでしょう。次回は文脈化の続きを今日の事例を挙げて話します。(笠川路人伝道師)

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