20131013 私たちの思うところを越えて働く神様
2013-10-13


「どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、」    エペソ人への手紙3章20節

 私たちは時として思いも及ばない神様の働きを経験することがあります。上記の聖書箇所にあるように、神様は私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて、私たちの祈りに答えてくださるお方です。エリシャと預言者の仲間の妻との出来事はその良い例です。預言者の仲間の妻がエリシャのもとにやって来て叫びました。「あなたのしもべである私の夫が死にました。ご存じのように、あなたのしもべは主を恐れておりました。ところが、貸主が来て、私のふたりの子どもを自分の奴隷にしようとしております。」そのとき、エリシャは「何をしてあげようか。家にどんな物があるか。」と尋ねました。その妻は「油のつぼ一つしかありません。」と答えました。エリシャは「隣人たちみなから器を借りて来なさい。そしてあなたの油のつぼから油を注ぎなさい。」と命じました。妻は言われた通りに、隣人たちからすべての器を借りて来て自分の油のつぼから注ぎ始めました。すると、すべての器に油が満たされるという奇蹟が起こりました。エリシャは妻に「その油を売り、負債を返済しなさい。そしてその残りで、あなたとあなたの子どもたちは暮らしていけます。」と言いました。この出来事は、私たちの思うところ、願うところを越えて働かれる神様の働きを現しています。
 もう一つの良い例は、初代教会の大伝道者パウロのローマ行きです。彼は「私はローマを見なければならない。」と言いました。それはローマ見物をするためではありません。ローマ帝国の首都ローマで伝道したかったのです。パウロは、巨大な闘技場コロッセウムで伝道集会を開催し、多くの人々に福音を宣べ伝えるという夢を描いていたのではないでしょうか。しかし神様のなさることは不思議です。パウロの願うところを越えて神様は働かれたのです。驚くことに、パウロは囚人としてローマに行くことになったのです。パウロは獄中において、彼を監視するローマ皇帝直属の親衛隊に福音を伝えることができたのです。

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