20130825 何をするにも、ただ神の栄光のために
2013-08-25


「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」        コリント人への手紙第一10章31節

 聖書は私たちに「何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい」と命じています。この言葉から2つのことを考えてみたいと思います。第一に、何をするにも、人に対してではなく、神様に対してすることです。ある退職した人の話です。彼は近くのショッピングモールに行くのが楽しみでした。あるとき、そのモールの一部改修工事が始まりました。彼は一人のクレーンを操作している人の働きぶりにたいへん感心しました。彼は毎日来て、熱心に働くその姿を見ていました。ついに、その改修工事の終わりがきました。彼はその人に話す機会を見つけて言いました。「私は退職者です。毎日ここに来て、あなたの仕事ぶりを見ていました。私はたいへん驚き、目を見張りました。あなたは仕事にどれほど熱心に取り組んでいたことでしょうか。」そのとき、その人は彼を見つめ、大きな目を開いて言いました。「あなたは退職者だったのですか。私はあなたがこの工事の監督者だと思っていました。」私たちはしばしば人が見ているときだけ、一生懸命に働くものです。しかし私たちは人のためでなく、神様のために働くのです。神様はいつも私たちの仕事を見ておられるのです。
 第二に、自分に与えられた仕事のプロになることを通して神様の栄光を現わすことです。私たちは直接神様の働きをすることが神様の御心に適い、神様の栄光を現わすことだと考えがちです。しかし聖書は「何をするにも」と言っています。イチロー選手が4千本安打を達成したことが大きな話題になっています。そのインタビューで、8千本の打ち損じのことが悔しいと述べていました。22年間の平均打率が三割を超える好打者ですが、尚打ち損じたことに悔しさを覚え、さらなる成長へと目を向けている姿勢に本当のプロフェッショナルの姿を見ることができます。私たちも自分に与えられた仕事が何であれ、神様の栄光を現わすためにその仕事を極める本当のプロになることが求められています。

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