2012-12-16
「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」 マタイの福音書5章43〜44節
イエス様のたとえ話に「良きサマリヤ人」の話があります。それは次のような話です。ユダヤ人が旅の途中で強盗に会い、着物をはぎ取られて、半殺しの目に合うのです。そのとき、同胞のユダヤ人の宗教家である祭司とレビ人がそれぞれその場に通りかかるのです。しかし彼らは見て見ぬ振りをして通り過ぎて行ってしまうのです。そこにユダヤ人と敵対しているサマリヤ人が旅の途中に来合わせるのです。彼は傷ついたユダヤ人を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで包帯をし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行くのです。宿屋の主人にお金を渡して「介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。」と言うのです
このたとえ話は、ある律法の専門家が「私の隣人とは、だれのことですか。」とイエス様に質問したことから語られました。当時の宗教的指導者たちは「隣人とはだれか」と隣人の範囲を定めたのです。上記の聖書箇所にあるように、聖書の教えである「自分の隣人を愛し」に「自分の敵を憎め」を付け加えて、隣人の範囲を狭く解釈し、真の愛を歪めてしまったのです。イエス様は、神様が私たちに求めておられる愛は、すべての人に及ぶこと、たとえ敵であっても、その人が助けを必要としているならば、私たちの隣人となることを教えたのです。
たとえ話に登場する良きサマリヤ人は、自分の都合を脇におき、大きな犠牲を払って、敵対するユダヤ人に仕えたのです。私たち人間の傾向は常に魅力的な人、好ましい人、自分にとって価値がある人に対して愛が向けられるのです。しかし真の愛は人の必要から始まるのです。イエス様は私たちがまだ罪人であったとき、救いを必要とする私たちのために十字架で死んでくださり、救いを成し遂げてくださったのです。私たちの心にもイエス様の真の愛が注がれる必要があります。
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